院長紹介


当院の思いは、お客様の「健康作り」・「幸せ作り」の為のお手伝いを1番に考えております。

症状を良くする事はもちろん、それ以外に再発しないお身体作りを目指して日々頑張っています。

それは、お客様に「健康」になっていただき、いつも笑顔で好きな趣味・スポーツなどをおもいきり楽しんで頂き、ご家族・お友達との大切な時間を楽しく過ごして頂きたいと願う思いから開業をしました。

ニックネーム

のだ ちゃん(前の職場ではトトロ)

年齢

51歳

生年月日

1963年9月4日

血液型

O型

星座

乙女座

出身地

大阪府八尾市 (生まれも育ちも同じ)

趣味

ソフトボール・野球観戦

特技

料理作り(簡単な料理)

休日の過ごし方

整体などのセミナー通い、DVDを観たり、本を読んだり

好きな食べ物

スィーツ(洋菓子系)、お寿司

好きな動物

トラ

好きなスポーツ

ソフトボール・野球・ゴルフ

好きなTV番組

グルメ情報番組・お笑い番組

好きな街

北海道

宝物

家族と友達

今ハマっているもの

コンビニの新作スィーツを食べること

興味のあるもの

グルメと健康に関すること

尊敬する人

両親とセミナーの施術家の先生方

目標

お客様の「健康作り」・「幸せ作り」と笑顔になって頂くこと目指します

生まれた時から体が弱く、1歳の時に肺炎で死にかけたと母から聞きました。
3歳の時から両親が共稼ぎなので保育園に行き、母親が朝から夜まで掛け持ちで働いていたので、いつも仕事終わりに父親が迎えに来てくれていました。
たまに帰りにハンバーグ屋連れて行ってくれるのが楽しみでした。



幼少の時の体の弱さも強くなり、巨人の長嶋選手に憧れ野球・ソフトボールなどして活発に遊んでいました。
学校の勉強はダメで体育が得意でした(笑)

小学校2年生の時に、弟が誕生しましたが私と同じで体が弱くてんかんがクセのように起こりよく入退院を繰り返していました。よく救急車に乗った記憶があります。

急にてんかんになるので、舌を噛まないように割り箸や手を口に入れたりしていました。私も手を入れて痛い思いをしました。

中学時代に弟もてんかんの薬が合ってきたので滅多にならなくなってので、母親も仕事を再開したので、陸上部に入っていましたが、母親が夜の仕事があるので途中で抜けて弟の面倒をみていました。

父親が遅い時には弟の分も食事を作ったりしていました。
この時に、料理を作るのが好きなったと思います。

中学2年生の時に人生の第一ターニングポイント、それは友達のお父さんが建築家で家に遊びに行った時に図面とパースを見た時に自分もやってみたいと思い、将来は建築家になると決めました。



高校は建築科に通い、自分の夢の建築家を目指して頑張っていました。

学校までの通学が1時間20~30分ぐらいかかっていたので、弟の面倒をみる事もありクラブ活動やアルバイトはしなかったのが、今となっては少し悔いと思います。

高校2年生の時に、定年退職せれた叔母さんがお手伝いに来てくれてから春夏休みに建築現場にアルバイトで建物の出来上がっていく様子を勉強になりました。

大学も夜学の建築科に通いました。大学も高校の横でした、朝から夕方前まで働いて夜から勉強と4年間頑張りました。

昼間と違い講義時間枠が少なかったので講義が土曜日までビッシリと詰っていて休めなかったので大変な思いの記憶があります。



大学卒業後、建築設計事務所に就職し念願の建築家になりました。仕事内容が、今みたいにCADが発達していなかったので手書きで図面作成にPCを使った計算等を夜遅くまでしていました。

最初は良かったのですが、年々視力が落ち・肩こり・腰痛・時々の頭痛など皆様と同じ様に苦しんでいました。

それでも、現在の様にインターネットなどなかったので、整骨院・マッサージに行ったことがありませんでした。
ずっと我慢していました。

30代前半の時に、衝撃な出来事がありました。
それは、阪神淡路大震災です。

当時住んでいた場所は離れていましたが、当時の震度5でそれでも地鳴りと凄い突き上げ感じやばいと思いましたが無事でした。

ただ、震源地の神戸などの被害の映像や高速道路・建物が潰れたりしている映像を観てかなり精神的ショックを受けました。

それから、PCも普及してきて図面もCADで書くので座り仕事がほとんどになり相変わらず肩こり・腰痛・時々の頭痛を我慢していましたが、ある日突然仕事中に急にギックリ腰のようになってしまい、そこで近くの鍼灸整骨院に連れて行ってもらい鍼をされて劇的に良くなり驚きを覚えました。
それから、定期的に通って頭痛が無くなり、肩こり・腰痛もましになっていました。

この様な人に痛み・辛さを取って喜んでもらえる仕事があるのかと思いました。

それから、30代半ばから何か人の為に役に立つ仕事をしたいと考えることが多くなりました。
その時も頭の中には震災の事もあったと思います。
そこで、35歳の時に決意をして建築の仕事辞めて鍼灸の専門学校に入学しました。 



鍼灸は夜間部に通っていので、朝から昼までクリニックのリハビリ科に勤めて昼から夕方までリラクゼーションサロンに勤めてそこで国家資格を持っている先生にマッサージや足ツボなどを学びました。

夜間部だったので普通の社会人の方も多く、年齢層も18歳~60歳ぐらいと幅広くいたので色々な話を聞くことが出来たので、お客様のコミュニケーションに役立っています。

3年間学び鍼灸師の国家試験に合格しました。

その後、すくに柔道整復師科に行かずに1年間中国出身の鍼灸師の先生の所で修行に行き鍼灸の事を沢山学びました。

1年後に柔道整復師専門学校の昼間部に進学しました。
ほとんどが18歳から30歳の方が多く1番最年長で40歳でギャップがありましたが必死で勉強と柔道を頑張った記憶が残っています。

年下の友達も出来楽しい学園生活を過ごし、3年間学び
柔道整復師の国家試験に合格
をしました。

卒業後も鍼灸時代の同窓会の幹事を任されて2年に1度開催しています。



卒業前にクリニックを辞めて、大阪市内の激戦区の整骨院に。
そこでは鍼灸とマッサージの経験はありましたが骨盤などの矯正を教えて頂きました。

お客様の症状により矯正してもあまり改善しないケースが出てきて悩むことが多くなりました。

それではいけないと思いセミナーを調べたり先輩から聞いたりして、セミナーに参加して学びそれを練習して使っていくと、お客様の症状が良くなり喜んでもらう顔を見て嬉しかったです。

それから、技術セミナーに通う事によりお客様の症状に対する幅が広くなっていくので現在も技術セミナーに行って切磋琢磨しています。

整骨院では、接客・経営などを学ばせて頂きました。



働いていた整骨院で、4年間修行して退職後にお客様の辛さ・痛みや悩みの解決に生涯介護のいらない身体作りを目指す為のサポートをしたいと思い、平成26年11月25日にここ大阪市西区新町にNODA整体院を開業致しました。